トップページ > NPO法人 青少年育成開発協会 > 継続的支援の事例継続的支援の事例YGS高等部の学校長である、本協会の理事長が自ら専門家として学校ご卒業後や、相談をお受けした後の青少年のご家庭の継続的支援を行っています。 すべて開くコミュニケーションが苦手なA君A君は発達障害を抱えており、コミュニケーションが苦手です。YGS高等部卒業後も本協会理事長自らが、週に1度A君と会う機会を持ち交流を続けて10年近くなります。年に1度はA君の好きなアニメ映画を一緒に見に行きます。A君にはその間就労支援も行い、三度企業を紹介しましたがA君本人の都合で継続することができませんでした。現在も、交流は続けられ、就労支援も継続中です。卒業間近に状況が悪くなったB君B君は中学時の不登校を乗り越え、高等部在学中は発熱しない限り皆勤していた生徒でした。ところが、卒業を前にして「手を洗い続ける」という行為が出るようになりました。卒業後それは続き、保護者にご相談を受けた協会ではその後もしばらく家庭訪問を続け、B君の状況はよくなりました。半年以上母親と顔を合わせていなかったCさんCさんのお母さんが相談会に見えました。Cさん(中学1年生)は同じ屋根の下で母親と半年以上顔を合わせていませんでした。部屋から出ないCさんを部屋から出してほしいとのことで、協会が毎週家庭訪問をしました。家庭訪問を重ねても、Cさん本人には会えないのですが、お母さんに変わってもらうことから始めて毎週の家庭訪問が数か月続きました。アドバイスに従い、お母さんは努力しました。Cさんは1年以上ぶりに部屋を出てきて学校にも通うようになりました。就職が長続きせず相談にきたD君D君は卒業時に就労支援を受けて就職したものの長く続きませんでした。就労の相談にきたD君は再び就労支援を受け再就職して現在も就労しています。面接の日時の設定から面接の付添まで協会が行いました。高校卒業後しばらく家で過ごしていたEさんEさんは、高校卒業後すぐには進学も就職もする意志が見られずしばらく家で過ごしていましたが、一年後、機が熟して「今からでも調理師になりたいので専門学校に行きたい」と相談に来ました。まず専門学校探しから始めましたが、ひとつだけ大学卒業資格の取れる調理師の学校を見つけました。当初専門学校を志望していたEさん本人と保護者は大学進学に志望を切り替えました。在学中に仕事をしなければならなくなったF君F君は高等部在学中に家庭の事情から自ら仕事をしなければならなくなりました。F君は履歴書の書き方、面接の受け方を何度も指導されて、面接には理事長が付き添い、無事にアルバイト先が決まりました。F君は学校とアルバイトを両立させて卒業しました。卒業後に専門学校でいじめにあったGさんGさんは、卒業後入学した専門学校でいじめに遭い相談に訪れました。協会が専門学校の先生との間の橋渡しとなり、専門学校を動かし、いじめを解決に導きました。病気で修学旅行に行けなかったH君H君は、高等部在籍中に病気治療入院等により修学旅行に行けなかったことをとても残念に思い、相談に訪れました。協会では、高等部の修学旅行に混ざって行ってみないかという提案をしてH君には遅ればせながら修学旅行に行ってもらいました。H君ひとりでは在校生にとけこめないのではという思いから同い年の大学部の学生にも参加を募り参加してもらう配慮をしました。その縁で大学部の飲み会にはH君も誘われて出ています。家から出られなかったI君I君は家から出ることができず、家族が相談会に訪れました。協会では一年かけて家庭訪問を続けました。I君は、まずは自分の部屋を出て、次は家から出られるようになり自分の希望する高等学校へ進学しました。アルバイト先で問題を起こしたJ君J君はアルバイト先との間で問題を起こし、相談に訪れました。協会がアルバイト先との間に入り円満解決に導き、J君の次のアルバイト先も紹介しました。母親が相談に来た50代のKさんKさんは50代の女性です。Kさんの母親が相談にみえて、Kさんの就労についてご相談を受けました。最初から普通に働くのは無理のようでしたので、週一日位からでもよいという、果物の選別をする仕事を紹介しました。数度ご連絡をしましたが、Kさんはご紹介した仕事は受けられませんでした。Kさんの場合はうまく行きませんでしたが、青少年育成開発協会では、必要があれば世代を超えての支援もしています。その人に合った職場さがし、学校さがし。さまざまに相談をお受けしています。青少年育成開発協会のページへ戻る